2017年1月1日日曜日

インドアよりアウトドアのほうが偉いと誰が決めたんだ?

なぜ世間では、インドアよりもアウトドアが偉いのだろう。
誰が言ったわけでもないが、確かにそういう固定観念が浸透しているように思える。
決して、そうないとは言わせない。

たとえば極端な話をすれば、スカイダイビングをしたり、スキューバダイビングをしたり、インドに旅行をしたりする人は、すごく格好良い。
人生を存分に味わっているイメージがある。たぶん、実際にそうなのだろう。
アウトドアであればあるほど、人がしない経験をしていればしているほど、人間としての魅力、そして厚みが増すような感じがする。
小さな行動範囲で漫然と過ごしていては、決して経験できないものがそこにはある。

たとえばその逆に、1日を家で過ごすということは、まさに「人生を楽しんでいない」「時間を無駄にしている」ことの典型だ。
たとえば、自分の部屋でインスタントコーヒーを飲むことは、決して格好良いことではない。ありふれたことだし、まったくすごいことでもない。


僕は今日、やかんでお湯を沸かして、インスタントコーヒーを味わって飲んだ。
やかんでお湯を沸かすこと、ガスの温かい火を見ること、コーヒー粉の匂いを嗅ぐこと、熱いお湯の入ったやかんを運ぶこと、そしてミルクを溶かすこと、コーヒーを飲みながら、過ぎてゆく時間を楽しむこと、窓から見える雲の流れを、目で追うこと。
その全てが素晴らしい経験だった。
だけど世間的には、インドアではこういった素晴らしい経験は、できないということになっている。そういうお約束になっているのだ。


「スカイダイビングが本当に素晴らしくて」
「自宅でコーヒーを飲むのが本当に素晴らしくて」

という二人の人がいたら、絶対的に理解されやすいのは前者だろう。誰にでも分りやすい。
だが、後者はすぐには理解されないはずだ。おそらくしばらくの説明を要する。


僕らは無意識に「この過ごし方なら楽しいだろう」「こんな過ごし方では楽しめない」という固定観念を持っている。そして、固定観念に引きずられて休日を過ごしている。
たとえば、公園を歩くよりはディズニーランドに行く方が楽しいと考えているし、カップラーメンを食べるより高級レストランの方が美味いと思っている。
自分の部屋から見える景色よりも、スカイツリーの頂上から見える夜景のほうが綺麗なはずだと、考えている。

そして、ありふれた行為の中から、何らかの体験をしようという発想は、そもそも浮かびもしない。
体験は外部からやってくる、決して、自分自身で発明するものではない、ということになっているのだ。


だが、世間で言われているどんな楽しみ方よりも「自分の気に入る過ごし方」を見つけるのが、実は、一番喜びが大きい。
それは固定観念による喜びではなく、自分の体験をフィルタなしに味わう行為だからだ。

だから僕は、一杯のインスタントコーヒーを心から楽しみたい。


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