2016年11月27日日曜日

糖質制限食をコンビニで買い込んだ

今日はまた、お試しも兼ねてコンビニで一気に糖質制限食を買った。


6P プロセスチーズ
カマンベール 6Pチーズ
キャンディ型チーズ (甘くない)
ミックスナッツ
ブランビスケット (糖質が低い)
クリームチーズ系の6Pフルーツチーズ (糖質が低い)
サラダチキン スモーク味

これで1800円ぐらい。
これが二日はもつかと思いきや、1日でほとんど食べきってしまった。

これは、けっこうな金がかかるな。
昼食もあわあせると、1日の食費が2500円オーバーした。
特にカマンベールチーズが高くて、6Pで500円。1ピースあたり80円もする。

糖質制限食では、肉やチーズはどれだけ食べても良いという自由があるために、際限なくチーズを平らげてしまった。
ミックスナッツをよく噛んで食べる甘さも素晴らしい。
甘いやつ二つはどうしても食べたかった嗜好品だ。

だが今思えば、ちゃんと夜も定食屋に出かけて行って、普通の食事をした方が安く済んだはずだった。満足度も高かったはずだ。
まあ、ポテチやチョコレートを買い込んですべて平らげてしまうよりは、100倍もましだろうけれど。

どうも自分の場合、昔から「食べずに残しておく」というのが出来ない。
買って部屋に置いたものはだいたい、その日のうちにすべて平らげてしまう。
「間食のための糖質制限食」をコンビニで買い込んでも、ほとんど1日で食べきってしまうから、まったく間食にならない。

今回はコンビニで糖質制限食を買うという実験だったけれど、
今後は間食を買いこまずに、ちゃんと毎日の食事で栄養をとって、その上でどうしても口寂しい場合にだけ、何かを買って帰るようにしたい。

ストレスをかけすぎても、金をかけすぎても食事法は続かないと思うからだ。

しかし思うことは、無限にミックスナッツとチーズが食べられる世界に行ってみたい。。


[糖質制限] 「食事の後に眠くならない」って体で実感した。

低糖質な食事をすると、食後の眠気がない。
もうひとつは気分の落ち込みがない。

いままでは食事をすると、必ず気分の落ち込みを感じていた。
頭の中でなんとなくネガティブなことを考えては「ああそうか。これは食後の満腹感のせいだ」と考えていた。実際にそれは事実だった。
食後にはネガティブな考えに陥ったり、眠くなったり、無気力になったりする自分の状態には気付いていた。
悪い時には、それが癖になって食事の一口目から猛烈な眠気を感じているような状態だった。

だが低糖質の食事をすると、まったくそんなことがなくなってしまった。
食後に、腹は満たされているのだが、ぜんぜん気分が落ち込まないのだ。
「ダウン」の理由は、食事そのもののせいじゃない。糖質だったんだと、知識としては知っていたけれど、体で実感した。

ところで、今まで僕は甘いものにあまり興味がなかったのだけれど。
いざ低糖質ダイエットを始めると、逆に「甘いもの」にも関心が向いてしまっている。
コンビニに行くと甘いもののコーナーの前で足が止まる。
「我慢しなければいけない」と思うと、逆に欲しくなる。これがダイエットのパラドックスだ。

だけど自分に抑圧を与えるのが、一番よろしくない。
重要なのは我慢ではなく「理解」だ。
糖質を口に放り込むことのデメリット、そして、糖質を減らすことのメリットを心から理解して、感じ取りたい。

たとえばローソンの低糖質系のお菓子だって、1袋で「ブラックサンダー1個」よりも糖質が低かったりするんだから、もし甘いものが欲しくなったら、我慢せずに食べてみたらいいと思う。
(本当はローソンの「ブランパン」をいつでも間食にしたいのだが、たまに店頭で売り切れていることがある。。。)

あとは、1回1回の食事に対して、積極的に感謝の心を湧き起こして「ちゃんと満足した」という気持ちに浸るのが良いだろう。



2016年11月26日土曜日

「意識高い系」という不思議な言葉のロジック

「意識高い系」という言葉がある。不思議な言葉だ。

意識が高いのは良いことなのか、悪いことなのか。
考えても、まるで正解は出ないように思える。

こうして「意識高い系とはなんなのか」という定義が、世の中にいくつも生まれることになった。

だが、正解が見つからないように思える問題には、「ロジックの破綻」が潜んでいるのが常だ。
つまり問題提起が間違っているから、正解も見つからないということだ。

意識が高いのはよろしいことなのだろうか。
ネットの世界で「意識高い系」は笑われている。
だがそもそも「意識が高い」というのは、どういうことなのか。

「意識が高い」という言葉には、
「意識が高い=価値が高い」
「意識が低い=価値が低い」
といったニュアンスが感じられる。

たとえば自宅に帰っても仕事の勉強をするのが「意識が高い」とする。
だけどそれはすべて「自分のためにやっていること」だ。
たとえば出版される本の中から毎月何冊かを買って、最新の情報を得ているとする。
だけどそれも「自分のためにやっていること」だ。

たとえば趣味がゲームでも、自己啓発でも、座禅でも、パチンコでも、剣道でも、ボルダリングでも。
それ自身に「価値」の高低はない。
なぜなら趣味というのは「自分が好きでやること」だからだ。

たとえば仕事で自分のキャリアを作るにしても、
キャリアを作るのが意識が高くて、作らないのが意識が低い、ということではない。
なぜなら仕事のキャリア作りも、自分のためにやったり、やらなかったりすることだからだ。

「自分のためにやること」に価値の高い低いは存在しない。
つまり「どちらが意識が高くて、どちらが意識が低いか」という区切りはまるで意味がない。

意識が高くても低くても、どちらにしても求める先は「自分にとっての理想」なのだから。
その理想に今の行動がフィットしているかどうかだけが重要になる。

つまり「意識高い系」という言葉は、
まず世界を「意識が高い人」と「意識が低い人」に隔てておいて、その上で低い側を笑ったり、高い側を嘲ったりという、はるか昔から繰り広げられている「世界を二分して手を作り上げる」というゲームに過ぎないのだ。これがロジックの罠だ。
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ローソンのブランパンの満足度がすごい。

ローソンのブランパンの満足度がすごい。

ブランパン2個セットを食べると130kcalぐらい。
だけどこれが、あんぱん1個=300kcalを食べるよりも満足度が高い。腹が満たされた感じがする。
カロリーは低く、低糖質で、高タンパクだ。
糖質によって眠くならないのも良い。

今では良いのか悪いのか分からないが、小腹が空いたらとりあえず街でローソンを探す体になってしまった。
(人生ではじめて「コンビニの系列の違い」を明確に意識した)

ところで、最初にローソンでブランパンの成分を見たときは「嘘だろ」と思った。
パンなのに、ここまでタンパク質の量が多いわけはない。何かの間違えではないかと考えた。

同じくローソンに、それこそタンパク質の塊である「サラダチキン」も売っているが、小腹が空いたときにこれを食べるわけにはいかない。
パッケージは開けにくいし、手はベタベタするだろうし、何より味気ない。
どうしても「我慢して食べている感」が出てしまうだろう。
そもそも気軽に外で食べる用途として作られていないのだから、当たり前だ。

けれどこのブランパンは、パッケージを開けてすぐに、いつでもどこでも食べることができる。
手も汚れないし、値段も安いし、個人的には飽きのこない味だと思っている。

カロリー的に言っても、たとえばチョコレートの「ブラックサンダー」をひとつ食べるだけで100kcalは行ってしまうのだ。
それに比べると、この満足度で130kcalというのは驚異的な低カロリーだ。
「ブラックサンダー」であればひょいひょいと5個ぐらい続けて食べることも出来るだろうが、ブランパンを五個(5包x2)も食べたら、もう腹は一杯になるだろう。

こうやって二週間前から、糖質制限にかなりはまりかけている俺だ。
これが一時の流行ではなくて、本当に人類にとって理想の食事法だという考えのもとに、実践している。

今までは1日1食を実践したりしていたが、やはり空腹時はフラフラになったり、今考えてみると弊害も出ていた。
体つきもちゃんと引き締まって痩せているのではなく、なんとなく腹の辺りだけだらしない感じになっていた気もする。

食事法に関しては本当に数多の情報が出回っていて、真実がどれなのかは誰にも分からないかもしれない。
だけど糖質制限に関しては、書籍を読んでいると、他の食事法よりも明確な理論、納得できる理屈に基づいて構成されていると感じた。
世間一般的な「イメージ」ともかなり異なる部分があった。

自分の今までの食事法も、決して完全に否定するわけではない。
だけど「今まで続けてきたから」というだけの惰性にとらわれずに、自分の食事に関して真剣に考えて、実践してみる。

何より糖質制限を始めてから、なんとなく自分の体がエネルギーに満ちてきているように感じる。

シュラスコは食べ方のメソッドである

会社の懇親会でシュラスコを食べに行った。
これがあまりにも美味くて感動した。

テーブルまで温かい肉のかたまりをウェイターが運んできて、それを切り落とし、皿に盛って、すぐに食べるのだ。

「シュラスコの良さ」というのがメニューに書かれていた。
キッチンからテーブルに運ぶまでの距離さえも短縮して、本当に出来たての、美味い状態で肉を食べるための手法なのだ。

ゲストがいかにして美味く肉を食べられるか、を追求した手法。
つまりシュラスコというのは「食べ物の種類」ではなくて「食べ方のメソッド」なのである。

由来が本当にそうかどうかは知らないが、結果的にその役目を果たしている。
俺はシュラスコが好きになった。プライベートでもまた食べに行きたい。




2016年11月25日金曜日

肉食は太らない?

昨日はランチにシュラスコを死ぬほど食べた。よほどのカロリーを摂取した。
だが今朝起きてみると、意外にも腹はすっきりとしている。

この現象は以前にもあって、焼肉を山ほど食べた次の日は、思ったよりも腹がスマートだ。

逆に、1日で野菜スープしか飲んでいないのに、腹のゆるみが取れなかったり。
人体は不思議。。。というか、もっと栄養学、食事学に詳しくなる必要がありそうだ。
ぜんぜん食べ物のことについて分かっていない。

焼いただけの肉を食べるっていうのは、やはり太らない方法なのかもしれない。
あとは「昼をちゃんと食べる」ということは大事かもしれない。

ところで、自分が低糖質ダイエットをしていると他の人に言うと、必ず「そんなの、する必要がないでしょ!」と返ってくるが、これは逆説だ。
「痩せているから気をつける必要がない」んじゃなくて「気をつけているから痩せている」のだけれど。

自分は顔が細いから体もガリガリに見られがち。しかし太ろうとしても顔に肉がつくのではなく、まず腹についてくるから、単純に自分の体が嫌になってしまう。


2016年11月23日水曜日

英語学習 | オーディオブック+テキストでの読書が最強すぎる話

瞑想関係の本「JOY ON DEMAND」を英語版で読んでいる。
それと同時に iBooks でも音声版をダウンロードして、

この方法で本を読んでいると、本当によく頭に入ってくるし、読むこと自体もすごく楽だ。
なぜなら自分で本を読み進めようとしなくても、次から次へとナレーターが読んでくれて、自然に自分も文章を目で追うことになるからだ。

テキストだけで読む場合の4倍ぐらい頭に入ってくるし、4倍ぐらい長い時間、読書を続けられる感じがする。4x4=16倍だ!

ちなみにこの本は、

- とても平易な英語で書かれている
- 今まで瞑想関係の本をいくつか読んできたので、自分がこの分野に詳しい
- 同じ著者の本を読んだことがある

という好条件が揃っていて、内容がよく理解できた。
日本語版を買う必要がないなと思った。

自分にとって読みやすい条件が揃っているにせよ「あ、英語を普通に読めている」という感覚があって、とても心地良い。
「音声」+「目での読書」ってすごいと思った。
(前は音読にも挑戦したのだけど、とにかく声が枯れるのでやめてしまった)

これは英語教材より良い気がする。
なぜなら「興味」というのはすごいエネルギーを持っていて「自分の興味のある分野の本を読む」のが吸収率は一番だと思うからだ。
ちなみに、テキストとオーディオブック、両方が出版されているものをまず探す、という必要はある。


これが、次の条件でも読めるようになっていけたら、上達だ。

- 難しめの英語で書かれている
- 自分が詳しくない分野の本を読む
- 音声なしで文章だけで読む



お金を使うか勇気を使うか

僕は最近「勇気が必要なこと」にチャレンジしようとしている。
準備を念入りにして、テンションが高い日は、それをすることが出来た。
だけど日々、自分にいい訳をしては、なんとなくそれをやらずに終えてしまう。

勇気が出なかったり、疲れていると言い訳をしたり、ただなんとなく先延ばしにしたり。
そんなことを繰り返していると、人生の日々は過ぎていってしまう。
無限にも思える日々は、実は無限ではなく。もしかしたら今日が、人生最後の日にならないとも限らないのに。

人間にはだいたい80年もの年月が与えられているから、ダラダラと過ごしていても、すぐにお咎めを与えられることもない。
なんて甘やかされた環境なのだろう。

世の中には「やるのが簡単だけど、競争相手が多いもの」と「やるのが難しいけれど、競争相手が少ないもの」があると思う。
お金を使えば簡単だけど、タダでやるのは難しいことがある。
お金を使うか、労力を使うか、それとも知恵や勇気を使うか。

たとえば人にプレゼントをあげる時でも、お金を使わずに相手を楽しませようと思ったら、知恵や工夫が必要だ。

最近思うのは、お金を使うのはすごく簡単だということ。
だけどお金を使って楽をしていてばかりでは、まず貯金はたまらないし、自分の実力も磨かれていかない。

「自分を甘やかしたくない」そして「勇気が出ない」との間で、揺れ動いて、結局何もしていない、この頃。


2016年11月20日日曜日

自分への投資が上手 or 下手

自分が買うものは、ほとんどすべてが、投資だと思って買っている。

定食屋さんで栄養のある食事を食べるのは、健康に対する投資。
コンビニでサラダを買うのも、健康への投資。
高級な外付けキーボードを買うのは、快適な仕事に対する投資。
Kindleで本をダウンロードするにしても。知識に対する投資だ。
引っ越しをしたのも、ライフスタイルに対する投資だ。
ブログ用にドメインを10年契約するのも、記事を書くモチベーションと、ウェブ上の財産に対する投資だ。

浪費ということは基本的にはしない。娯楽と言えば漫画ぐらいだろうか。

ただ、この投資が上手いか、下手かというと、下手な部分がたくさんある。
つい「本をたくさん読めば賢くなるだろう」と考えて、ざくざくダウンロードしてしまって読まなかったりする。

たとえば、フットマッサージャーを、快適な毎日への投資だと思って買ってはみたが。
瞑想を始めたら、そこまで体が疲れなくなって、不要になったりした。
高級な外付けキーボードも、今ではノートPCの内臓キーボードの方が快適になってきて、Amazonで売却したりした。
速聴をのために速聴用のソフトを購入したけど、やめてしまったり。
そういうことはザラにある。

もっと上手に投資したい。無駄なお金を使いたくない。お金をロストするたびにそう思う。
「来月こそはお金を節約しよう」と思うけれど、ついつい投資の名目の下に使いすぎてしまう。

だけど投資というのは、ある程度、お金を使ってみなければ分からない部分がある。
ライフスタイルは刻々と変化していくから、必要になるものもあれば、不要になるものもあるだろう。
そしてお金を使う前に考えすぎていたら、なかなか踏み切れずに、お金よりも大事な「やりたいこと」や「時間」をロストする羽目になりかねない。

たとえばKindleの本だって、本当に必要だと思う時に買うからこそ、身にしみて内容が理解できる。
いまこの記事を書いているMacBookだって、そこまで悩まずに、本当に必要だと思ったからサクッと購入した。
そして、今本当にこいつが役立っていると思っている。
たとえば、iPad Mini4を買ったことによって、指紋認証で簡単にタブレットを開けるようになり、電子書籍を読む機会が激増し、生活のスタイルも大きく変わった。

だけどもう少し賢くなれるとすれば、すべての投資の前に、衝動ではなくて「もう少しだけ時間をかけて下調べすること」「生活に対するシミュレーションを描くこと」をしてみても良いだろう。
投資を制限しない範囲で「それは、本当に必要か?」「もっと良いもの、方法があるんじゃないか?」と、自分にあと数回問いかけてみても良いだろう。