2016年12月17日土曜日

いつの間にか時間が経ち、よそよそしくなる現象

人間関係は作るだけではなくて、維持するのにもコストが必要だ。
僕が不思議なもののひとつに「よそよそしくなる」という現象がある。

ここに二人の人間がいて、かつてはお互いに、挨拶を交わしたことがある。
笑顔で話し合ったこともある。
だけど時間が経過するだけでなぜか、何かきっかけがあるわけでもないのに、まるで他人のような感覚に陥ってゆく。
特に必要性がなければ、連絡し合うことも、挨拶をすることもない。
そしていつの間にか、まったくの他人に戻ってしまう。

人間の記憶というものは薄れるものだ。
いちどは仲良くしても、一人の人間を取り巻く重要度はめまぐるしく変わる。
「重要だった人」が「どうでもいい人」になり、「役立つ人」は「役立たない人」に変わり、「どうしようもなく一目惚れしていた人」は「昔、少しだけ気になっていた人」になる。

ひとつの重要度が上がるということは、ひとつの重要度が下がるということだ。
人は普通、重要でないものに対して、無限にコストを割き続けたりはしない。
僕からこの「よそよそしさ」を他の人に感じることもあるし、おそらく僕も人に対して「よそよそしく」していることがあると思う。
だけどこれを人にされると、なかなか寂しい気持ちになってしまう。
僕は相手を人として見ているのに、僕は人ではなくモノのような扱いをされている気分になる。

決してお互いに「お前の重要が下がった」と口に出して言うわけではない。
だけどたとえば、ふとすれ違った時に、挨拶をした時に、まるで「見知らぬ他人」のような対応や、温度を感じることがある。

むかし父親が母親が言っていたのは、たとえ何十年連絡を取っておらず、久しぶりの再開だって、まったく昔と変わらずに一瞬で「友達」として話し合える、という伝説だ。
僕はその話を信じていた。だけど、僕が見ているものは違う。時代が違うからだろうか。

たとえば花だって、水をやらなければ枯れてしまう。
人間関係だって、同じだ。ごくたまに、少しずつでも良い。
「水をやる」といコストをわずかでもかけること。

が、どうにも億劫だから。僕たちは花を枯らしがちだ。


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