2016年12月6日火曜日

[頑固さの話] 僕たちは経験によって愚かになる

年をとると頑固になるという。

僕たちはひとつずつ価値観や判断基準を増やしながら、賢くなった気でいる。
だけど本当は頑固になり、ひとつずつ価値観を積み上げながら、愚かになって行っている。
自分の心を自分で窮屈にしているようなものだ。

たとえば人生で経験を積むと「こういうのは良い人」「こういうのは悪い人」だと段々とその傾向が分かってくる。
だんだんと一目見るだけで、相性の良い人、悪い人が分かるようになってくる。
判断はより早くなり、精度はより向上していく。

だけどそれは実は賢くなっているのではなくて、自分の信念を強化しているだけじゃないだろうか。
「この人は自分に合う」「この人は自分に合わない」という信念を持つと、自分の心構えが変わり、人に対する気持ちや態度が変わる。
それが結果的に、自分の信念を実現してしまうことがある。

たとえば僕の場合、外を歩いていて、人に道を譲らない人が大嫌いだ。
歩行者のすぐ近くまでせり寄せてくる車も嫌いだ。
絶対に人間が出来ていない。性格が悪い。道の歩き方だけで人格が透けて見えると考えたりする。

だけどもしかしたら、道を譲らない人は単に急いでいるのかもしれない。
単に肉体的に、ものすごく視野が狭いのかもしれない。目が悪くてメガネを忘れたのかもしれない。
今日の仕事のことで頭が一杯なのかもしれない。

その本当の理由は分からないが、僕たちはとにかく「自分の信念」によって他の人を判断しようとする。
そしてこの信念はゆるぎなく、どう考えてもその通り、完全に正しいように思えてくるものなのだ。

では、人生の経験が僕らを愚かにするのならば、全ての経験は無駄なのだろうか。
決してそんなことはない。経験というものを、自分の視野を狭めるためではなく、広げるために使うことも出来る。
僕たちがひとつの経験をした時に、価値観を狭めるのではなく、広げる考え方をすることも出来る。

「こういう考え方も許されるんだな」
「自分には受け入れがたい、こういう人でも、社会に許容されて生きているんだな」(ものすごく上から目線だけど、心の中で思う分には問題ない)
「このコンビニのレジの人、お釣りを渡すのがものすごく雑だけど、潔癖症なのかもしれない」
「この人は悪い人だけれど、世間には悪い人がいるから、相対的に良い人もいるんだよな」
「約束を全然守らないあの人は、フットワークが軽くて、行動がしやすいだろうな。自分とは全く逆のタイプだから、どこか学べるところがあるかもしれない」

こういう風に考えることも出来る。

経験は材料。考え方は調理。価値観は料理。
良いクッキングを!

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