2016年12月16日金曜日

話を理解できないのは頭が悪いからじゃない (集中力と興味の話)

頭が良い人と、悪い人がいる。
飲み込みが早い人と、遅い人がいる。
仕事が出来る人と、出来ない人がいる。
人の話を聞いていて、よく理解する人と、理解しない人がいる。
物事の全体像を把握する人と、しない人がいる。

だがこれは多くの場合、おそらく「頭の構造」の違いではないのだ。
それの違いはなにか。
それは「興味」の違いだ。
人が物事に感じる「重要度」の違いなのだ。
短期的にもそうだし、長期的に見てもそうだ。


僕は今日、英語の本を読んでいて、すごいことに気付いた。

最初は文章を読んでいても、英語がなかなか頭に入ってこなかった。
「あ、この単語がわからない」
「どうやったらもっと早く理解できるんだろう」
「本当に英語学習が人生の役に立つんだろうか」
なんてことを考えながら読み進めた。

だけど話がヘンリー・フォードのパートになった時に、急にその話に興味が湧いた。
そうすると、ひとつひとつの文章が無味乾燥なものではなく、急に立体的なものとなり、意識に飛び込んできたのだ。
僕の意識は「いかに英語が覚えられるか」から「ヘンリー・フォードのことが知りたい」というポイントにフォーカスを移していた。

今まで切れ切れだったセンテンスが、急にひとつの塊となって理解されるようになった。
そしてこれが「英語を理解できる状態」だと気付いたのだ。

これは集中力の違いというよりも、もっとコアな部分にある「興味の対象」の違いだ。
なぜなら興味なしには集中は生まれない。
そして、たとえ集中力があっても、興味の対象が他の物事に向いていれば、理解度は落ちる。

誰かが「本を読むときは、これを100万円で買ったと思って読みなさい」と言っていた。
まさに、自分にとっての重要度が、本を読む時の「理解度」の違いとなる。
そしてこの「重要度」は、自分の意識の持ち方次第でコントロールできる。
神経言語プログラミングでいうところの「アソシエイト」という手法にあたるかもしれない。

僕は、この「重要度の操作」をすごく甘く見ていた。理屈としては分かるし、その感覚も一瞬は分かったが、これを本格的に学習に取り入れたことはなかった。仕事にも。


僕は仕事の特定の分野で要件を理解するときとか、人の話を聞く時とか。
どうにも自分で「他の人より理解が遅いな」と思うことがよくあった。
だけどこれも、まったく「頭の良さ」の違いではなくて「興味」の違いであると考えられる。
なぜなら、僕も興味が湧いた分野であれば、真綿のように話を理解して、吸収していくことはある。

逆に。たとえば僕はものすごく方向音痴なのだけれど、それは「方向音痴でも特に困らないし、地理関係を把握することにほとんど興味がないから」なのだと思い至った。


そして人間は恐らく、自分自身の「興味」をコントロールすることが出来る。
まったく同じ対象であっても、重要度を上げることも出来るし、下げることも出来る。
「物事への興味が固定されている」という考え方こそが幻想だ。


たとえば「100万円の本を買ったと思って読む」とか。
「伝記であれば、これが自分の祖先の話だと思って読む」とか。
本ひとつを読むにあたっても、思い描くイメージ次第で、対象の「重要度」は上がり下がりする。
おそらく一番良いのは、物事の重要度が上下した感覚を覚えておいて、あえて補助輪としての「ストーリー」を思い浮かべなくても、重要度を直接コントロールできるようになることだろう。



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