2016年12月23日金曜日

夢がある人、夢がない人、どっちでもない人

世の中には、趣味がない人がいる。
「何か好きなことがありますか?」と聞いても、ショッピングとか、映画とか、旅行の話ばかり。
それだと話していても、面白くない。退屈だと感じる。

かたや、趣味だらけの人もいる。
毎日が楽しくてキラキラしていて、いつでも新しいことにチャレンジしている。
大きな夢があって、人と接することが大好きだ。
だけどそれは、マルチ商法の人だったりする。

僕には今、大きな夢がないのかもしれない。
だから「夢のある人」から「あなたの夢はなんですか?」と聞かれると、なんとなく居心地が悪くなって、口を濁してしまう。
そして、その帰り道、自分の夢はなんなのだろうと自問自答しながら歩いたりする。
(本当は心がとりつかれるような、大きな目標を見つけたい)

「夢のある人」は、時々まるで「夢がある方が偉くて、ないのは偉くない」みたいなそんな威圧感を受け取る。
夢はあって当たり前。夢がなくては人間未満だ。そんな風に言われているみたいだ。

僕に今、夢があるとすれば、それは内面的な成功だ。
たとえば、毎日仕事を集中して、瞑想をして、心理学の本を読んで、自分自身の心をコントロールできるようになることだ。
だけどそれは「夢のある人」には響かない。
なぜなら「夢のある人」は「社会的に分かりやすい成功」や「人のためになること」が「夢」の定義だと思っているからだ。
ごく個人的な成功は、スケールが小さい。そんなものは夢ではない、と切り捨ててしまっている。
だからどうにも、この話は伝わらない。

逆に「やりたいことがない人」にも、やはりこの話は伝わらない。
なぜなら「自分を改善していく」という価値観の部分で、共感が出来ないからだ。

人間は基本的に「自分と同じぐらいの温度感」の人を好むように出来ていると思う。
やりたいことがない人は、やりたいことがない人といるのが心地良い。
夢がある人は、夢がある人と付き合うのが楽しい。

人間関係には、無限の選択肢があるように見えて、しかし「同じぐらいの温度感」で「同じ方角を見ている」友達を見つけるのは案外難しい。少なくともけっこうな手間と時間はかかるだろう。
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僕たちはごく限定的なステートの中で生きている。

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