2017年2月23日木曜日

「人に好かれたい」は危ない世界観

人に好かれるのは嬉しい。
嫌われるよりも好かれた方がいい。

だけど「好かれることを目指す」のはわりと危険だ。
「好かれるか、嫌われるか」という基準を持つこと自体が危うい。

チョコレートがいかに美味くても、チョコレートを食べるためだけの生活が幸福とは限らない。
「好かれること」が一瞬、いかに嬉しくても、「好かれることを目指して生きること」が幸福とは限らない。

たとえば「人に好かれたすぎる自分」をある部分、諦めるために、
「すべての人に好かれることは出来ない」と言ったりする。
けれど、これもまた「好かれるか」「嫌われるか」という評価軸で世の中を見ている事自体が、もう既に危ない。

そして「人に好かれたい」「人に嫌われたくない」という考え方は、自分主体の価値観だ。
なにかがズレている。人に好かれようと考え始めた時点で、自分中心の世界観を描いているように思う。

だけど、こう考えてみることも出来る。
人と「良好な関係を築くこと」ならば可能だと。
そのために努力することも出来る。

「人に好かれたい」という考え方とは逆に、
「関係を築く」というのは双方向の考え方だ。

すべての人に好かれることは出来なくても、すべての人と、できるだけ良好な関係を築こうと努力することは出来る。

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