2017年2月7日火曜日

マインドフルネス | 「適切な備え方」「不適切な備え方」

マインドフルネスの教えでは「常に、今現在に注意を向ける」ことが勧められる。
僕たちはとかく、未来や過去に心を奪われがちだから、これは多くの場面で有効なやり方だ。

だけど字面のとおり、今現在だけに注意を向け続けるのは、ある意味、不安なことでもある。
なぜならたとえば、僕が職場にいない時には、本当に仕事のことを考えなくても良いのだろうか?
決して将来の計画を考えずに、幸せな人生を送れるのだろうか?
今現在だけに注意を向けていないと、とっさの時に、危険に対処できないのではないだろうか?
という疑問が浮かんでくる。
「全く未来を気にしない状態」にも、心は不安を感じるようだ。
(厳密に言うと、それも未来を気にする心の一形態なのだが)

最近思い至ったのは、これは単純な二元論ではないということだ。
書籍「GO WILD」には、この「対処できるように、備える」という心の状態について、奥深いことが述べられている。
「未来について過剰に思い悩まず、なおかつ、適切に備えている」という状態が存在するのだ。

瞑想 の 平穏 な 状態 とは 困難 が ない 状態 では ない。 警戒 心 や エネルギー の 消耗 が ない 状態 でも ない。 むしろ、 脳 は いつ でも 反応 できる よう 注意 し、 警戒 し て いる の だ。 これ は ホルモン 分泌 の 仕組み と まったく 同じ だ。 
「いつ でも 反応 できる よう 注意 し、 警戒 する」 とは まさに 狩猟 採集 民 の 精神状態 だ。 進化 の 導き により、 わたし たち は 注意・警戒 する こと で 報酬 が 得 られる よう に なっ て いる こと が わかっ て き た。 それ も その はず だ。 わたし たち にとって 理想的 な 状態 とは、 騒音 が あふれる 状態 でも 静まりかえっ た 状態 でも なく、 ストレス が ある こと でも リラックス し て いる こと でも なく、 満腹 でも 飢餓 でも なく、 起き て いる こと でも 眠っ て いる こと でも ない。 両極 の 間 で 体 が うまく バランス を 保っ て いる 一点 が、 その 人 にとって 理想的 な 状態 なの だ。
ジョンJ.レイティ; リチャード・マニング. GO WILD 野生の体を取り戻せ! 

なるべく「今現在」に注意を向けながら過ごすとしても、杓子定規に100%そうしなくても良い。
対象が適切であれば、適切な「備え方」をするのが良い場合があるということだ。

そして、時と場合に応じて「適切な備え方」と「不適切な備え方」の種類が生じる。
一律に備えること自体が「良い」「悪い」というものではない。

たとえば朝、会社に向かって歩く時、
その日の仕事の段取りを考える事は「現在に生きていること」ではないが、適切なことだという場合がある。
なぜなら、それによってちゃんと仕事が回せるようになるなら、ちょっとだけ未来について考えるのも、悪いことではない。
たとえば、街を歩きながら、車に気をつけて歩くのも「適切な備え方」だ。なぜなら、車に全く気をつけなければ、轢かれて死んでしまうから。

だけど街を歩きながら「5年後の働き方」についてネガティブな空想をするとしたら、それは「備えすぎ」だ。適切な備え方ではない。
たとえば道で見かけた看板に気を取られて、ありもしない妄想に悩み始めるなら、それも適切な備え方ではない。

心の70%は現在を生きて、残りの30%で「適切な対象」に対して備える、ということも出来るはずだ。

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