2017年2月8日水曜日

マインドフルネス | 未来の不安は、今の不安。(日曜日は月曜日を夢想する)

僕たちは未来について思い悩んでいる時、心は架空の時間に位置する。

未来のことを悩むこと。これをやめるのはなかなか難しい。
なぜなら、思い悩むのをやめて「現在」に集中しようとも、未来は消えたりはしない。
消えないものを考えないようにする。こいつは難易度が高い。
未来はいつでもすぐ先にあって、僕たちを脅かす。

現在にだけ生きることは、未来に「見てみないふり」をすることだ。
見ないふりをしても、現実の未来は消えてはくれない。
だから現在に集中することは、まるで欺瞞のように思えてくる。
未来を思い悩んでいる時は、まるで未来が固定された現実であるかのように思えてくる。
思い悩んだことの多くが取り越し苦労だとしても、僕たちは悩むのをやめられない。

だけど本当は「未来に対する不安」というのは「現在の不安」の一形態なのだ。
「未来を思い浮かべる」という心の働きのせいで、僕たちは、自分たちの存在までも、未来に位置しているかのように感覚しがちだ。
だけどこれは錯覚だ。僕たちは決して「未来に存在している」わけじゃない。存在することなど出来ない。
「未来という架空の現実を思い浮かべながら、まさに今に存在し、思い悩んでいる」のだ。

「未来の悩みは、未来には無い」
「未来の悩みは、今の悩み」
「今の瞬間の、架空の心の悩みだ」

そう理解した時に、未来の悩みにはずっと対処しやすくなる。
なぜなら「未来」は、僕たちが空想で作り上げるものだ。
少なくとも未来の自分がどんな気持ちで過ごすかは、実際に未来が現在に来てみなければ、分からない。

僕たちは同じ未来に対して、解釈の仕方が本当によく変わる。
同じような未来に対しても、強い不安を感じる時、弱い不安を感じる時、不安を感じない時、希望を感じる時がある。
これは未来が変わったのではなく、僕たち自身の理解が変わったからだ。
これは未来実は固定された現実ではなく、次々と移り変わる、現在の状態に過ぎないからだ。


たとえば日曜日の夜に、月曜日の朝という未来が憂鬱に感じられたりする。
だけどその時の敵は「やがて来る月曜日の朝」じゃなくて「思い悩んでいる日曜日の夜」そのものだ。




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