2017年2月25日土曜日

「意味」は存在しない

「意味」の起源を知っているだろうか。
それは「メッセージ」に対する「理解」だ。

たとえば、猿が甲高く声を上げたとする。
それは「敵が来た」というメッセージだ。
「甲高い声」という「メッセージの意味」を理解することで、意図の交換がおこなわれる。

このように「意味」は「メッセージ」に対して存在する。
逆に言えば、そもそもメッセージが発せられていないものに対しては、原理的に「意味」は存在しない。

だが、我々の言語は高度に発達しており、容易にこの起源は忘れられる。
「意味」というもの自体が、まるで物事の実体であるかのように考える。
なのでそもそも「メッセージ」ではないものに対して、過剰に「意味」を求めようとする。

たとえば「生きる意味はあるのか」「人生の意味とはなんだ」なんてことを、たまに人は考えたりする。
だが決して答えは見つからないはずだ。
なぜならそこには、そもそも「メッセージ」が存在しているわけではないからだ。
メッセージのないものを理解しようとしても、そこに明確な意味など見つかるはずはない。

我々の文化はあまりにも「意味を理解すること」を土台に作られているから、「意味」そのものが独り歩きをしている。


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