2017年2月5日日曜日

「あなたの夢は何ですか?」に返す言葉(と、返さない言葉)

「あなたの夢はなんですか?」
「人生の目標は何ですか?」

人からこのような質問をされると、僕には、ひとつも返す言葉がない。
返す言葉がないから、そのかわりに疑問を抱く。
「なぜ、人に夢があることを前提で質問するんだろう?」
「なぜ、人生に目標が必要だと思うんだろう?」
といった反発を感じる。

だけど同時に「やっぱり、人生には夢があったほうが良いよな」とも考える。
そして、人に言える「夢や目標」がない自分を、強く恥じることになる。
次に、強い夢や目標を持つ人間の輝かしさを、心から羨ましく思うのだ。
「夢を持っているのは、自分とは違う人間だ」「人間としてのスケールが違う」と思う。そして「そんな価値の高い人間に、自分もなりたい」と思う。


夢と言えば。世の中にはスケールの大きな人間がいる。

キング牧師は「私には夢がある」とスピーチで語った。
マザーテレサは多くの人に慈愛の行為をおこなった。
イチローは自分の目標を立てて、それを忠実に実行した。
ワンピースのルフィは「俺は海賊王になる」と心に誓った。

きっとこのような大きな夢を持って生きるのが、人間にとって、もっとも重要なことなのだ。
大きな夢に従って生きるということが、真に目覚めるということだ。
きっと、最高の人生を送ると共に「周りの人に貢献する」という重要な使命を果たせることだろう。
それほどに「夢のある人生」「目標のある人生」の魅力は強烈で、輝かしいものだ。
(でなけれは、どうして「友情・努力・勝利」を謳う「週刊少年ジャンプ」があれだけ読まれ続けているのだろう?)


だが僕は、いつまでも人に言える夢を持たないままだ。
なのでどうにか、この質問を受けた時の「切り返し」を作っておこうと考えた。

だが「いつまで考えても、答えが出ない質問」というのは「そもそも問題定義自体が間違っている」というのが僕の昨今の考えだ。
そうすると「夢や目標は何ですか」というこの質問も、少なくとも僕に対しては、問題定義自体が間違っているのかもしれないと考えた。

人に「あなたの、夢や、目標」について聞かれた時、
まず、このような質問においては「夢や目標」というものの定義が、非常に狭いのではないか。
何か社会的な貢献をしたり、大きな成功をしたり、仕事上のキャリアアップをしたり、
というものが「夢や目標」と呼ばれる。
だから僕たちの文化において、広く認められているものだけが「夢」や「目標」と公言することが出来る。

夢や目標には条件がある。

- 社会的貢献や、社会的成功と結びついていること
- 社会において公に認められていること
- 社会において理解しやすいものであること(人に伝わりやすいこと)

この条件をすべて満たす「夢や目標」は、僕にはたやすく出てきそうにない。


たとえば男性であれば「年収をいくらにする」と言えば、まあ極めて俗世的ではあるが、社会的承認を得た目標だと認められることだろう。
だが「アルバイトで一生を過ごすこと」というのは、たとえどんなに本人が強く望んでいても、夢だとは認めらない。

たとえば女性であれば「結婚して子どもを生むこと」「幸せな家庭を作ること」は夢だと認められる。当たり前だが、社会的承認も得ているし、社会に貢献することだからだ。
だけれど「生涯を独り身で過ごしたい」というのは、夢や目標としては承認を受けない。

「いつか、自分の店を持つ」
「いじめをなくしたり、貧困をなくすような、社会的貢献をする」
「ハワイに拠点を持ちながら、バリバリ稼いで、世界中を飛び回る」
どれも人に伝わりやすくて、説明に困らない夢ばかりだ。

だが、ちょっと変わった趣向を持つ人は、たやすく人に承認を受ける夢はない。
当人にとっての夢(と言えるもの)を語ったところで、周りに理解を得られる確率は低い。

たとえば僕が「瞑想を通して、心の平穏にいつでもアクセスできるようにしたい」と語ったとしよう。
だがきっとそれは「夢や目標」としてはカウントされないんじゃないだろうか。
なぜなら、これは自分個人の課題であって、誰か他の人に貢献するものではないから。
そして、社会的な成功ともまったく結びついていないからだ。
「心の平穏? 勝手に追い求めてください」という話になる。

たとえば僕が「毎日、ごはんを美味しいと感じながら食べることが、僕の夢です」と語ったとしよう。
これも同じように、夢や目標としてはカウントされないだろう。
なぜなら「小さすぎる」からだ。(夢や目標は「大きくなければいけない」という暗黙のルールがあるらしい)
そして「進歩的」ではないからだ。
ご飯を美味しく食べることは、夢や目標とは言わない。


ところで。

キング牧師やマザーテレサは、自分の夢を語ったり、理想を実行したりはしたけれども、周りに対して「あなたには、夢や目標がありますか?」とは聞かなかった。
(いや、本当は聞いたかもしれないが、少なくとも、彼ら・彼女らが評価されるのは周りに夢や目標を聞いたからではない)


「夢はありますか?」
「目標はなんですか?」

と聞くかわりに、こうたずねるのはどうだろう。

「あなたにとっての、一番幸せな生活とはなんですか?」
「どんな世界なら過ごしやすいと思いますか?」

と。

僕はもしこう聞かれたら、
「職業・能力・年収・結婚・年齢・性別・夢の有無などの違いによって、価値の序列付けがおこなわず、すべての人がより洗脳を解かれた世界」だと、ちょっと危ない回答を返すことだろう。


僕には夢がない。

人に言える夢は。





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だが、当初の目的を果たすために、世間向けに少しでも分りやすい「僕の夢」のフレーズを書き留めておこう。

僕が理想とするのは。。

- 夢によって洗脳されない世界
- 夢の大小で評価を変えない世界
- 夢を持たないことを認める世界
- 目標を持たなくても自尊心を保てる世界

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